《モロッコあるある》挨拶しないと大問題

昨日に続き本日も愚痴。

超プライベートなことです。

ただひたすら書き連ねて落ち着こうとしています。

興味ない方はスルーしてください。


今朝になり義弟夫婦が「朝のうちに帰るよ。」と言うので、「あらー残念。お昼ごはんぐらい食べて行きなよー。」と一応モロッコ的社交辞令でかわしていた私。

そういえば義姉へどうするんだ?と義弟の嫁に、「そういえば義姉は?」と聞くと「昨晩遅くに出ていったわよ。」と言うではないか。

「どうして?お昼ごはんみんなで食べようと思ったのに。」と聞くも「どうしてだろうねーわかんない。」と。

何なんだ?と思っていた矢先、義母から

「あんたの子ども(義母にとっては孫)、娘(義姉)に何の挨拶もしなかったらしいわね!?家族に挨拶しないって、一体どうなってんの!?」と大激怒ボイスメッセージが。

どうやら私ではなく私の子どもの態度が気に障っていたようなのだ。

我が子も挨拶はしていたと思うのだけれど、そのときの態度が義姉にとってはあり得なかったらしく。どうやら久しぶりの再会なのだから溢れんばかりのハイテンションっぷりで飛びかかってきてくれるのを期待していたらしい。


「挨拶しないと大問題!」。

まずこれが今回の《モロッコあるある》。

「挨拶はしなきゃいけない!」、これだけ聞くと普通にいいことじゃないか、と思うしこのあるある自体はとてもいいことだと思う。

挨拶って人と人とを繋ぐコミュニケーションの入り口だし、コミュニケーション能力に欠けた昨今の日本人たちを見ているととても大切なことだと身をもって感じるから。

けれど今回のケースはこれが面倒臭いほうにいっちゃったケース。

うちの子はまだ7歳で、そのとき嫌なことがあって気分が沈んでいたので挨拶が暗かった。

それを

「1年ぶりなのに挨拶のあの字もないんかい!!」

と大の大人である義姉と義母が頭ごなしにぎゃーすか騒いで怒っているのを見て、

「おいおい、それはちょっと違うだろ。」

と若干、いやかなり引きながら思わずにはいられなかった私。

確かに久しぶりに会えたのだから喜んでほしいという義姉の気持ちもわかる。

我が子の反応が薄かったのがショックなのもわかる。

でも、我が子は学校から帰って来て義姉を見たときは喜んでいたのだ。そのとき義姉はというと布団をかぶり寝ていたのだ。

うちの子は寝ているのを邪魔しちゃいけないな、あとで挨拶しよう!と義姉を気遣った。そして嫌なことがあって気分が沈んでいるときに義姉がやって来た。

タイミングの問題なんじゃないの?

むしろ久しぶりに会うっていうのにぐーすか寝ていたあなたはどうなの?

あなたこそ飛び起きて「久しぶりー!」ってハグとかすべきじゃないの?

私の頭の中には???が。

兎に角、私は私のことを言われるのは構わないけれど、自分の子どものことを悪く言われるのには黙っていられない。

夫から義母に伝えてもらったけれど、義母の嫌味なメッセージには直接言ってやらんと私の腹の虫がおさまらないのでボイスメッセージを送りつけた。

「きちんと挨拶できなかったのは申し訳ない。ただ、うちの子は義姉が来たときとても喜んでいた。彼女のところに駆け寄ろうとしたけれど、彼女は寝ていたから彼女を気遣い起きたら挨拶しようと思っていた。義姉が挨拶しに来たとき、うちの子はちょうど気分が沈んでいた。だからきちんとした挨拶ができなかったタイミングが悪かったのだ。そもそも7歳の子に大の大人がそんなに目くじら立てて怒り狂うことだろうか。」

と。

そして、「どちらか一方からの話だけを聞いて後先考えず頭ごなしにメッセージを送りつけてくるのはいかがかと思う。双方の話を聞いてそれから物事を見極めてほしい。」

と。

きっと外国から来たこんなへっぽこ小娘の言うことなんて右から左なんだろうけど、なめられたまま終わるのも癪に障るので言うだけ言ってちょーっとだけすっきり。

今までこういうことが起こっても争いたくない私は黙って穏便に済ませていた。

でも結局それって彼らにとってただ都合がいい嫁。ちくしょー。

と、改めて思い知ることができた今日。

ここはモロッコなんだ。

言いたいこと、言ってやろう。言わなきゃ自分が潰される。

モロッコ人的感覚を培う。

「まず自分ありき」ってやつ。いわゆる自己中心的自分になる。

これ、来年の抱負で決定(笑)。




私のだらだらと綴ったまとまりのない愚痴を最後までお読みいただき、ありがとうございました。



alwan

モロッコの素朴で温かみのあるもの シックでノスタルジック 長く心地よく使えるもの 邂逅の色の魅力を詰め込んで モロッコよりあなたのもとへ 手仕事の温もりを通じて 心の豊かさに繋がるものを

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